あらかじめお伝えしておきたいのですが、私は登山はしません。
一時期「山ガール」に憧れてはいたものの、漫画『山と食欲とわたし』を熱心に読み、メスティンを買い、いざどこの山へ登ろうか考えた時に私は山に登りたいんじゃなくて美味しいものを食べたかっただけだと気づき、それならキャンプでいいかと思ってキャンプ道具一式を買って満足しました。(結局キャンプも数えるほどしか行っていない)
そんなアウトドアとは縁のない私ですが、登山家の経験談、主に遭難のルポが大好きです。大好きというと大いに語弊があるのですが、遭難から学ぶことは深く、人生に通ずると思うのです。
この奥深さを教えてくれたのはひと回り年上の友人です。
彼女は壮絶と言っても過言ではないほどの青年期を過ごし、ホームレスを経験したり投資で億を稼いだり会社員をしながらお菓子屋さんを開いたり、平凡な考えを持つ私からしたらかなりキテレツな生き方をしています。でも人に優しく懐が深い、人間的にもとても面白い人です。
仕事を通じて仲良くなり今は遠方に住んでいるのですが、時々近況報告をしたりオンラインツールを介してランチをしたりしています。その中でおすすめしてくれたのが羽根田治さんの本でした。
おすすめされた本は必ず読む、がモットーの私は迷わず購入。導入としておすすめされたのがこの2冊です。
|
|
本書は実際にあった遭難を短編形式で綴っているドキュメントです。
羽根田さんは長年遭難者の取材を続けられているライターで、彼の著書はリアリティのある鬼気迫る内容と淡々と語られる文章で軽快な読み心地。
いくつかの遭難事件を読んでいくうちに、遭難者の行動に共通点があることに気づきます。それは、
- 違和感を無視した行動
- 自分が正しいという思い込み
- あの時別の選択をしていれば、という後悔
年齢や性別、季節、状況、それぞれの性格、いずれも同じ人はいませんが、なぜか山で遭難する人は皆一様に上記の行動をとってしまうのです。ある人は下に何があるか確認できない滝壺に飛び込んでみたり、ある人は吹雪のなか山小屋から出発してみたり、またある人は思い込みを捨てられず登山のルール(迷ったら登れ)と逆に沢を下ってしまったりという具合です。
読者からすると、なんてバカな…と思わずにはいられないのですが、きっと追い詰められた人間にしか表れない行動パターンがあるのでしょう。
かく言う私は、登山ではなく日常の中で同じような行動をとってしまったことが何度かあります。今から思うと、なぜそんなことを…とこれまた思わずにはいられません。
私の場合、遭難ではなく、セクハラ上司であるとかモラハラ彼氏(後の夫)であるとか悪意のある友人であるとか、振り返ると孤立した状況に追い詰められて、様々なおかしな選択をしてしまっていました。
具体的に例を挙げると、セクハラをしてくる上司には通常、拒否する、他者へ助けを求める、などが考えられる行動ですが、当時の私は逆に気に入られようとする行動をとってしまっていました。また、威圧的で思いやりのない彼氏とは別れると言う選択ができず、「私の方が間違っている」という思い込みをしてしまい、違和感に蓋をしてしまっていたのです。
あの時こうしていれば、違和感に気づいて行動していれば、そう後悔するのは切迫感は違えど山でも人生でも同じかもしれません。登山経験が全くないにも関わらず、「あ、なんだか身に覚えがあるな…」と思いながらページをめくりました。
そうして幾つもの遭難ルポを読み進めていくうちに気づいたことがあります。それは、生き残った遭難者のもう一つの共通点。
生きることを諦めなかった
ということ。
怪我を負っても食糧が尽きても、彼らは生き延びるために思考をめぐらせ行動し続けました。生還した人と命を落としてしまった人の差は、ほんの些細な違いかもしれません。もちろんそこには本人の努力だけではなく運もあるだろうと思います。また、命を落としてしまった方へ侮辱の気持ちは一切ありません。
しかし、諦めない先に未来が開けるということも人生に通ずると思うのです。
私も人生の中で後悔する場面は多々ありますが、可能な限り生還する側の人間でいたいと山へ思いを巡らせながら決意するのでした。