『怪物』は、映画館に一人で観に行きました。
2023年公開の映画レビューをなぜ2024年のタイミングで書こうと思ったのか。
それは先日、息子に言われた一言によって、ふとこの映画を思い出したからです。
私は息子が大好き。
可愛くて優しくてとにかく気が利いて言葉のチョイスも面白い。そんな息子と長期休暇の予定を決めるための話をしていた時、数年前のお正月の話になりました。
その年、娘は先に私の実家に帰省していて、私と息子は少し遅れて行くはずでした。しかし出発の数日前にインフルエンザにかかってしまったため、泣く泣く行くのを断念したのでした。
私、彼と2人で過ごしたお正月がすごく楽しかったんです。
大晦日に遊園地に行ってジェットコースターや観覧車に乗ったり、お正月はゆっくりテレビを見たり初詣に行ったり、少し奮発して美味しいものを食べに行ったりもしました。
そんな思い出話を嬉々として話す母を見て、彼は言いました。
「ぼくは楽しくなかった」
帰省できなかった残念さが勝ったという意味だったかもしれません。
でも、その言葉が引っかかっていつまでもチクチクと胸を刺しました。
いつしか片思いになっていたか。
***
「怪物だーれだ」
この言葉が印象的なこの映画は、登場人物のそれぞれの視点で描かれます。
主には担任の先生、校長先生、母親、息子、そしてその友達。
そこにはそれぞれの考えがあり、葛藤があり、正義があります。
私は同じようにシングルマザーで息子を育てる母親に自然と感情移入していきました。
うん、分かる。
大好きな息子を守りたい。
息子を傷つけるヤツは絶対に許さん。
しかし、何が正しいか正しくないか、答えはそれぞれにあります。
母親は息子のことをいちばんに考えて、時には暴走ともとれるような行動で息子を守ろうとします。
母親の行動が正しかったのかは分かりません。ただ、私が同じ立場であったら同じことをしたでしょう。
それより、もっとも私が衝撃を受けたのは、息子の目線で描かれたシーンでした。
息子が見る世界には、ほとんど母親が登場しないのです。
息子にとっては学校や友だちが世界のほぼ全てを占めていて、母親は自宅のシーンで少し登場する程度。
いわゆるエキストラ。もしくは、モブキャラ。
ああ、なるほど。
と思いました。
子どもにとっての母親って、空気であり背景であり、そこにあって当たり前のものなのだと映画を見ている中で思い知りました。
寂しいと同時に妙な納得感で、確かに、かつて自分が娘であった時もそうだったっけ。
それでも、モブキャラのまま、子どもたちの生きる世界が少しでも美しくあるように願うのです。
それしかできない身として。
それこそが母親だと鼓舞しながら。