娘が2年半に及ぶ不登校を経て、学校に行けるようになりました。
今は夏休みが終わった9月。4月からの半年間、娘は毎日学校に行っています。
夏休みをはさむことでまた振り出しになるのではないかという不安がありましたが、どうやら杞憂だったようです。娘は見違えるように元気になり、(日常生活が送れるほどには)生活リズムが改善し、体力も戻ってきました。
振り返って思うこと
2年半の間、娘もきっとつらい思いをたくさんしたのだと思いますが、母である私もかなりの苦労(主にメンタル面での葛藤)を感じる日々でした。
未熟な私は試行錯誤して、思い通りにいかないことに苦しんで勝手に傷ついて、娘がして欲しかったであろうことをしてあげられませんでした。
今、振り返っていちばんに思うのは、もっとどっしりと構えて、ただただ優しく穏やかに過ごせばよかったのにということ。これから先、あんなにも一緒にいられる時間は二度とないだろうということ。
親が頑張ることで子どもが学校に行けるようにすることは不可能です。ただ一つ親にできることは、気持ちを受け止め、受け入れて、子どもの心の基地を作ることだけでした。(私にはできませんでした。)
そして、小学生のうちの数年間学校に行かない期間があっても、中学生活には全くと言ってもいいほど響かないということも知りました。
当時は先が見えないことにただただ不安だったのです。娘も母も。
きっかけ
思い起こすと、不登校のきっかけは些細な寝坊でした。
熱中すると寝食を忘れるタイプの娘、読書だったか、当時夢中になっていたプログラミングゲームだったか、時間制限の約束を守れずに寝る時間になってもやめることができないようでした。なんと、寝たふりをして、家族が寝静まった後に起きていたことも。
そんなことをしていれば当たり前のように朝は起きられません。
そうこうしているうちに休みがちになっていたのですが、それでも朝に何度も起こし、叱ったりなだめたりしながら週の半分以上は登校できていました。
その状態から追い討ちをかけたのは、コロナ禍の学校閉鎖。
コロナ禍による教育現場での悪影響は専門家が説いているかと思いますが、我が家ではまさに、不登校へ続く大きな引き金となってしまったのです。
行けないんじゃなくて行かなかった
さまざまな理由で学校に行けない子がいると思います。
かく言う私も、もしも学校でつらい立場に置かれていたり逃げたい状況にあったりする場合には、学校なんか行かなくていいと思っています。子どもの心身の健康が何よりも優先です。
ただ我が家のケースでは、学校や人間関係に問題がありませんでした。
だからこそ怠惰であると娘に厳しくしてしまったり、原因がどこにあるか分からずに悩んだり、という状況に陥ってしまったのです。
実際に不登校の間もお友達や先生との関係は良好で、大変助けられた反面、「ではなぜ」という思いがどうしても拭えませんでした。
その時に娘から聞いた不登校の理由は、行けないんじゃなくて、行かないだけ。学校に行く意味がわからないし困ってない、ということでした。
それが本心だったかは分かりません。ですが私はそれを聞いて、頑張る気力がなくなり、へなへなと力が抜けてしまったのでした。
続きます。